持倉鉱山跡

 

人呼んで「越後のラピュタ」
~日本を代表するからみ煉瓦遺構~

  見学について 見学可能

<公開日時>
自由に入れる

<見学料>
無料

<見学申し込み方法>
申し込み不要

<見学時の注意点>
落石注意。
夏はアブ多し、草刈りされていない時の遺構はブッシュに覆われる。

<立入制限エリア>
なし。

<関連リンク>

> 遺産所在地、アクセス情報はこちら

概要

山間にひっそりとたたずむ持倉鉱山跡。銅鉱滓によるからみ煉瓦は日本各地で見られるが、持倉鉱山の大規模なからみ煉瓦遺構は希少である。この遺構は日本を代表するからみ煉瓦建造物であり、最も産業遺産にふさわしいとして、2022年に産業遺産学会の推薦産業遺産に認定された(第123号)。

見どころ

持倉鉱山の大規模なからみ煉瓦遺構、その規模の大きさにおいて国内でも希少であり、特に事務所等の建造物ではなく精錬施設がからみ煉瓦で構成されているのは国内では他に例を見ない。鉱滓は煉瓦として利用されるまで山中等に捨てられていたが、煉瓦として製造し、活用された期間はコンクリート構造物がでるまでの間で日本国内ではその製造期間が短かったことでも希少価値がある。

またそういった文化的価値のみならず、「越後のラピュタ」と称されるような神殿廃墟的な佇まいは、産業遺産に興味のないユーチューバーやコスプレイヤーなどの層にもフォトジェニックな場所として人気を博している。

歴史を知る

持倉鉱山は1652年ごろ銀山として開山したが、休山が多かった。1902年(明治35年)、現・新発田市の寺田助松が持倉鉱山内で蛍石を採掘中に銅鉱床を発見した。翌年に採掘許可を取り、現・五泉市の小出淳太に売却した。当初、製錬所は五十島集落の阿賀野川畔にあったが、1908年(明治41年)に遺構の残る土地に事務所とともに精錬所も移転した。

からみ煉瓦は欧州では、1700年代から製造されていたが、その技術がいつ頃日本に導入されたかは解っていない。持倉鉱山遺構のからみ煉瓦構造物は1908年(明治41年)以降、1916年(大正5年)頃までに構築された。

所在地

〒959-4614
新潟県東蒲原郡阿賀町五十島字葎沢および字亦および字持倉地

アクセス

<車>
磐越自動車道「道川IC」より車で25分、車止めから徒歩15分

<駐車場>
あり(無料)

<アクセス時の注意点>
道幅が狭い
途中から未舗装路
冬季は除雪されないので、五十島集落から5km徒歩
ヒル、ハチ、クマ生息

お問い合わせ先

持倉鉱山遺構を護る会事務局
阿賀まちづくり株式会社 担当:堀口
070-8987-3747

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上記は2024年8月5日時点での情報です。最新の見学情報、所在地、アクセス情報については、各施設の連絡先にご確認ください。