産業遺産、という言葉を聞いてしまうとどうしても身構えてしまう。
だいいち四文字のくせに妙に画数が多くて、そもそもの言葉が堅い。天下国家を支えた重要なものしか、こんな大それた名前を名乗れないのではないか、そう考える人も多いかと思う。
もともとイギリスで始まった産業遺産の研究は、しかしながら、純粋な研究者たちによって出来たものではなく、普段の仕事の中で「いつも通っているこの工場の歴史を知りたい」、「いつも使っているこの機械は、重要なものでは?」という素朴な疑問を持った、ごくごく普通のまちの働き者たちの手によって作られてきた分野だ、ということを知らない人は多い。
ヨーロッパでは、産業に関わる工場や土木構造物、機械類、はたまた住宅や商店、学校など、自分たちを取り巻く生活のどこで寝起きし、どこで買い物し、どうやった技術を身につけてきたのか、それら足跡すべてが産業遺産と呼ばれている。別に工場自体が廃墟になっていても構わないし、逆に現役で使用され続けていても、十分評価の対象となる。
ひとつ例を挙げてみると、タイルに関して気になった人がいるとしよう。
おばあちゃんの家にあるタイルの柄が面白くて、詳しいことが知りたくなった。他の所ではあまり見たことがない。
調べてみると、日本各地の焼き物を作っていたところが、昔外国から輸入されたタイルを真似て、自分たちの技術を活かして作ったタイル(※これらは本業タイルと呼ばれます)らしい、しかも国内で今はほとんど生産されていない貴重なもの! 他にも色違いの柄も生産されていた、かわいい感じの柄も色々ありそうだ。日本各地のタイルを見に行こう、などといった形で、タイルを見に行く人は、もう立派な産業遺産探検家である。
私たちの身の回りには多くの建物があり、まちを見渡してみても、路上にはいろいろな看板や小物類が、地域の資料館にも用途が分からなくなった機械などがたくさんある。
気にしなければ、それらは明日もあるかもしれないし、ある日いきなりなくなってしまうかもしれない。
なくなってしまったときに、ああ、あのときもう少し気にして、持ち主や近くの人に聞いておけば良かった、なんてことを思ったひとは多いのではないか。今残っているものには必ずそれを作ったひとがいて、ものを作る際には、その理由がある。既になくなった会社のホーロー看板は設置当時会社の宣伝をするために、途切れた階段はその先にある目的地に到達するために、つくられてきたはずだ。
身近なもののその後ろにある様々なストーリーを探検すること、それが産業遺産を見るときの面白さだと考えている。私はそのように思いながら、今日もまた仕事帰りのまちを歩きながら、身近な産業遺産が語ってくれるストーリーを聴きに行く。
<執筆者プロフィール>
市原猛志
1979年生まれ/北九州市八幡西区在住/同八幡東区出身
大学卒業前後より近代建築を中心とした産業遺産の調査・研究を行う。
2009年に九州を中心とした産業遺産の調査・活用に関する研究で九州大学大学院博士後期課程修了、博士(工学)。
2012年には旧小倉警察署庁舎の国有形文化財登録業務を請負う。同時に産業遺産を観光資源に活かす取組みを進め、北九州工場夜景ツアー立上げに参画、ガイドとしても後進の育成に関与。世界遺産登録に関連し北九州市産業観光パンフレットを2006年より監修する等各種産業遺産紹介冊子の監修を毎年請負う。
ここ10年程は福岡県を中心に九州各地に眠る産業遺産を紹介する出版活動に尽力。『熊本の近代化遺産』(共著)で2015年に熊日出版文化賞受賞。
九州大学大学文書館協力研究員
九州国際大学非常勤講師
福岡県近代化産業遺産行動指針指導委員
中間市文化財専門委員
北九州市観光協会観光功労者
北九州市門司麦酒煉瓦館館長
北九州市の文化財を守る会理事
特定非営利活動法人北九州COSMOSクラブ理事
朝日カルチャーセンター北九州教室講師
産業考古学会理事