不戦の要塞が伝える戦争
~平和だからこそ生まれた人気スポット~
見学可能 ※一部立ち入り禁止
友ヶ島行きの船(和歌山加太発)は、9時11時13時16時発の4便(4往復)。
12月、1月、2月は、土日祝日のみの運航。
概要
兵庫県洲本市を中心とした由良要塞(ゆらようさい)は、和歌山市の無人島群「友ケ島」にも展開され、沖ノ島の5カ所と虎島に砲台が建設されました。由良要塞は第2次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって破壊されましたが、友ケ島は砲台や地下の弾薬庫などが比較的良好な状態で残されていることから、見学に訪れる人が多い遺産です。
戦時中は一般の人は立入禁止だった由良要塞。戦争遺跡を巡ると、当時の日本の様子を肌で感じることができ、未来を考える一つの選択肢になる貴重な遺産です。
見どころ
第一砲台跡は友カ島地区で最初に造られました。フランス製のカノン砲が設置され、観測所もありました。
友ヶ島で一番有名な場所でもある第三砲台跡の弾薬支庫内部。弾薬庫は部屋の奥の通路で全て繋がっています。
緑が生い茂る第三砲台跡の砲座。砲座は八つあり場所によっては水が溜まっていたり、植物が生えていたり、違う雰囲気になっています。
北側の防衛のために造られた第五砲台跡には砲座が六つ、弾薬支庫が三つあります。
観測所の鋼製の装甲掩蓋。もともとコンクリートで覆われていたので周りにはコンクリートの破片があります。
観測所内部。天井は木製になっています。
歴史を知る
幕末、日本では外国艦の襲撃から国を守るために海岸防御が必要だと考えられるようになりました。近代に入り、日本の防衛の要である大阪湾を守る由良要塞が造られました。
着工は1889(明治22)年。大阪湾の入り口である紀淡海峡を挟んで淡路島の由良(兵庫県洲本市)と、和歌山県の友カ島と深山の3地区が選ばれ、由良要塞と名付けられました。
国防のために大規模な要塞を造ったものの、第二次世界大戦では戦艦ではなく航空機が主力となっていたため、一度も敵艦を迎え撃つことなく役目を終えました。その後、由良要塞は終戦とともにGHQによって破壊されたため、多くの施設が原型をとどめていません。
現在は戦争を伝える遺産として、一部が公園やハイキングコースに整備されており、たくさんの旅人が訪れるスポットとして注目されています。
周辺の情報
兵庫県洲本市にある由良地区の遺産【生石山砲台】
生石公園として整備されていて第一から第五砲台跡を見ることができます。
所在地
由良要塞 友ヶ島地区「友ヶ島案内センター」
アクセス
友ヶ島行きの船(加太発)は、9時11時13時16時発の4便(4往復)。
12月、1月、2月は、土日祝日のみの運航。
お問い合わせ先
友ヶ島案内センター TEL:073-459-0314
和歌山市観光課 TEL:073-435-1234